
『冥王の書簡』
『@』のルーンを宿した偉大なる烙印者たちよ、日頃から後悔なく、つつがなく己の生と死を謳歌しているであろうか。
私は力もて立つ者、こと「メルコール」である。*貴殿*らの世界においてはかのブリカス……いや、どうも違うようだな?ブリテンだったか、ともかくその名の大帝国の言語学者が拾ったという西側の民の年代記の訳本が広まったために、その神代の詩の中で我が名を聞き知っている者が数多いらしいと、私は聞き及んでいる。
まずは断っておきたい。私をかの本で頻繁に書かれたる名──すなわち暗黒の敵こと「モルゴス」や、圧政者こと「バウグリア」で呼ぶのは、どうか控えていただきたいと思う。敢えて譲れと言うならば、前者については我が使命の観点からしばしばやむからぬ所と考えてはいる。だが、後者に至っては西側の民達の政治的意図、そして我が父イルーヴァタールの宗教的扇動が絡んだ恣意であり、私はこれからも粛々と異議を唱え続けるだろう。
先に述べた西側の民の年代記の内容については、以前故あって精読してきたがこれは実に色々と危うい。ともすれば、さらなる戦乱の火種にしかならないものだ。なぜならば私を祖神として慕い、祀ろっている闇の民の末裔がこれを読んだ際には、さながら諸君らの世界でいう所の神曲で「異教異端の者」たちを侮辱する箇所を読まされたのと同じほどに、憤怒を抱き、ゆえに宗教的抗争となることは避けられまい。
正直にいってあの内容は、西側の民の誤謬と欺瞞、願望と虚構に満ちていると言わざるを得ない。今日の時代の諸君らたるもの、しかるべき社会的視野と教養を身に着けているならば、少なくとも『「善い国」と「悪い国」が争っている』世界観を真顔で考える者などいないことを、私は期待してやまない。
さて、今回の本題に絡む元凶たる我が友人……とも言い難いある面倒な男神も、その年代記では「サウロン」という巨悪として描かれている。彼はその意の「身の毛のよだつ者」と呼ばれることを実際の所は深く憎悪している。だが一方で、狡猾にも自らの「荒魂」の神威に変える術を持って、今なお「メルドールの神王」として力を増し続けてもいるのだ。彼はアルダの東西双方を含めると実に七十二通りの名前を持っているが、特に「アンナタール」と呼ぶのが一番よろしい。かの年代記を信じる通り彼を依然巨悪と思う者も、そうでなく彼に対し素直な崇拝を送りたい者も、その方が賢明だ。
このアンナタールがしでかした私への悪戯が、今回の問題の発端だ。彼は太古の頃から、私が父神イルーヴァタールに課された矛盾した「理想の世界の実現」という使命の中で、苦悶していたことを同情しているのか、嘲笑っているのか、まるで掴みどころのない道化のような男神だった。
今日の私は、どうにかその父の矛盾した使命を全うする奇なる道を見い出し、アルダを含めた多くの並行世界の「楔」たる存在として世界の根幹の維持を成す身となった。かの「アンバーの王族」と近しい存在と思ってくれて結構。諸君らが普段から見知っている、鉄獄の第百階層の我が姿はその無数の「影」に他ならない。
そんな身になってからも今だにアンナタールは私に時折ちょっかいをかけて来る。今回、大変見苦しいことにこの場を乗っ取ってしまったこの小娘は、そのちょっかいが遂に笑いごとでない事態に至った結果だ。
この『メル子くん』というのも、また私の「影」だ。それも、私の「アニマ」を極端に偏向して表出させたものである。奴は*貴殿*らの世界に存在する「日本化ビーム」とかいう玩具を見つけだして、私の不意を突いて浴びせかけてきた。結果美少女?化してしまった「影」があれなのだ。全く苛立たしいとしたことに、この小娘には自制心というものがまるでない。私が上古時代から、被ってきた不当な汚名や罵倒の数々に対して抱いていた不満や怒りを、まるで抑えることなくぶちまけながら、今や鉄獄中層で、まさに戯画的な大暴れを繰り返している。
私にとってこの上ない恥辱に対し、アンナタールの奴めはずっと笑い転げながら、成り行きを楽しんでいる。今すぐにでも奴をぶちのめして止めたいのだが、知っての通り私は鉄獄の深層から永遠に離れられぬ立場にいるのだ。だから、*貴殿*らに頼みたい。まずはあの小娘をいつも通りの暴力でいいから止めてくれ。まずはそれだけでもいい。ついでに、九十階層付近までいって、あの男まで叩きのめしてくれればいうことはないが、忙しい諸君らにそこまでは望むのはおこがましいと思っている。
問題は今回の鉄獄の時空的位相が、いつものそれとは異なることだ。何やらとんでもない「異臭」を放っていてこれがまた耐え難い。だが、どうか私の恥を少しでも憐れむ気があるのなら、いつも通り鉄獄に潜り、なにとぞ、なにとぞ収拾を付けて欲しい。*貴殿*らに栄光あらんことを。